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那覇地方裁判所 平成10年(ワ)82号 判決 2000年5月09日

原告

輿石正

外五〇〇名

右原告ら訴訟代理人弁護士

前田武行

池宮城紀夫

永吉盛元

三宅俊司

被告

名護市

右代表者市長

岸本建男

被告

比嘉鉄也

右被告ら訴訟代理人弁護士

小堀啓介

竹下勇夫

玉城辰彦

阿波連光

武田昌則

宮崎政久

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らそれぞれに対し、連帯して金一万円及びこれに対する平成九年一二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 原告らの訴えをいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  本案の答弁

主文第一、二項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、いずれも沖縄県名護市に居住し、又は居住していた者である。

(二) 被告比嘉鉄也(以下「被告比嘉」という。)は、平成一〇年一月一三日まで名護市長の職にあった者である。

2  普天間飛行場移設計画

(一) 沖縄県宜野湾市に所在する普天間飛行場(以下「普天間基地」ということもある。)は、沖縄県内唯一の米軍海兵隊飛行場であり、米軍海兵隊の海外における唯一の戦闘攻撃部隊主力の前進拠点である山口県岩国基地と連動し、輸送及び攻撃用のヘリコプターを中心として、主に上陸作戦の対地攻撃、偵察及び空輸の任務に供されている。

普天間飛行場周辺の住民は、常時、低空を無方向で飛び回るヘリコプターが発する騒音に悩まされ続けており、航空機騒音の一指標である「うるささ指数」は七五以下でなければならないとされているところ、右飛行場周辺では、八〇ないし九〇の指数を示すのが常態であるばかりか、演習の時には九〇を超えることもあるため、電話やテレビの音も聞こえず、赤ん坊はびっくりして泣き叫び、学校の授業が爆音で中断されるという事態に至ることもある。

また、ヘリコプターは、安定性が悪く、たびたび墜落や不時着事故を起こしており、昭和五九年五月及び同年七月には、Ch53大型空輸ヘリコプターが墜落炎上するという事故が発生した。

右飛行場周辺住民は、危険極まりない上空での訓練の中止を求めているが、一向に改善はみられず、昭和四七年から平成六年までの間に右飛行場に所属する航空機が沖縄県内外で起こした墜落事故等は合計五七件に及び、これらの事故により、死者八四人、負傷者二五人の被害が生じている。

(二) 日本政府と米国政府によって設立された沖縄に関する特別行動委員会(以下「SACO」という。)は、平成八年一二月二日、沖縄県における米軍の運用の調整等に関して最終報告をとりまとめ、日米両政府間で普天間飛行場を返還する旨合意したが、右合意にいう基地返還とは名ばかりで、その実態は、名護市久志地域に二二四万平方メートルという広大な面積を持つキャンプシュワブの地先に新たに海上ヘリポート基地を建設し、ここに普天間飛行場のヘリコプター運用機能のほとんどを移設するというもので、いわば基地の「沖縄県内たらい回し」にすぎない。

(三) 海上ヘリポート基地建設予定地域には、キャンプハンセン、キャンプシュワブ及び辺野古弾薬庫が続いており、右地域住民は、かねてから米軍基地に伴う甚大な被害に悩まされ続けてきた。

例えば、広大な訓練基地では、戦車及び装甲車を陸揚して、山中で訓練を繰り返し、北部の水源滋養林を切り倒すなどするため、赤土を海に流し込む元凶となっている。また、航空機の援護を伴う強襲上陸訓練によって、学校内の教室の天井にひびが入るという爆音被害を引き起こしたり、機関銃やライフルの実弾訓練によって、たびたび跳弾が民間区域にまで飛び込むなどしており、昭和五九年五月一八日には農道に止めていたダンプカーのフロント部分が機関銃で打ち抜かれるという事故が起きた。

3  本件条例制定に至る経緯

(一) 日米両政府が前記2(二)の合意をしたことに関し、名護市議会は、平成八年六月二八日に普天間基地の全面返還に伴う代替ヘリポート移設に反対する旨の議案を、同年一一月一八日には普天間基地の全面返還に伴う代替ヘリポートのキャンプシュワブ水域への移転に反対する旨の議案をそれぞれ全会一致で可決した。また、被告比嘉を実行委員長として、二度にわたり「名護市域へのヘリポート建設反対市民総決起大会」が開催され、名護市民の統一的意思として、ヘリポート基地の名護市域への移設に反対する旨の意思が明示された。

ところが、日本政府(以下、単に「政府」ということもある。)が、平成八年一二月一四日、海上ヘリポート基地調査費として一二億円を計上したことに始まり、平成九年一月一六日には梶山官房長官によって、「日米政府は、キャンプシュワブ沖にヘリポート基地を建設することで基本合意に達した。」旨の発言がされ、同年六月一三日には、那覇防衛施設局から沖縄県北部土木事務所にキャンプシュワブ沖でのボーリング調査許可申請がされるなど、基地建設への準備行為が進められていた。

このような状況下、名護市民は、基地建設に関する意思を自ら表示したいと考え、その手段として、住民投票条例制定のための活動に入った。

(二) 平成九年六月六日、ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会が結成されたのに続いて、同年七月八日には、市民投票条例制定請求代表者証明書告示がされ、同月九日から住民投票条例制定請求のための署名集めが開始された。

条例制定請求のためには有権者数の五〇分の一以上(名護市においては、七五〇名以上)の連署を要し、署名期間は一か月に限られるなど厳しい条件下にあったが、署名活動は盛り上がりを見せ、同年八月一三日に名護市選挙管理委員会に提出された署名総数は一万九七五三名に達し、そのうち有効署名数は一万七五三九名であった。

こうして、平成九年九月一六日に「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例」(以下「本件条例」という。)の制定請求がされた。

これを受けて、当時名護市長であった被告比嘉は、平成九年九月二五日、右請求に係る条例案に修正意見を付した上、これを名護市議会に提出したが、右修正意見の骨子は、ヘリポート基地建設に対する意見の選択肢が、賛成か反対の二者沢一であったのを、「賛成」、「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」、「反対」、「環境対策や経済効果が期待できないので反対」の四択とし、また、本件条例案の三条二項に「市長は、ヘリポート基地の建設予定地内外の私有地の売却、使用や賃貸等、その他ヘリポート基地建設に関係する事務の執行にあたり、地方自治の本旨に基づき市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意思を尊重して行うものとする。」とあったのを「市長は、ヘリポート基地の建設予定地内外の私有地の売却、使用、賃貸その他ヘリポート基地の建設に関する事務の執行に当たり、地方自治の本旨に基づき市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意見を尊重するものとする。」と変更するとともに、三条三項に「市長は、市民投票の結果を速やかに沖縄県、日本政府及びアメリカ合衆国政府に通知するものとする。」とあったのを削除するというものであった。

その後、本件条例は、平成九年一〇月二日、名護市議会において、被告比嘉が付した修正意見のとおりの内容で可決成立し、同月六日に公布された。

4  本件住民投票

(一) 平成九年一二月二一日、本件条例に基づく住民投票(以下「本件住民投票」という。)が実施されたが、その際、政府は、大量の防衛施設局職員を名護市に送り込んで戸別訪問をさせ、また、自衛隊員にも、賛成派のための集票活動を行わせて、ヘリポート基地建設を容認することが地域振興策を講ずるための条件であるとする露骨な利益誘導を行うなど、なりふりかまわぬ妨害工作を行った。また、建設賛成派の業界団体は、各企業における投票のとりまとめに止まらず、不在者投票を積極的に行わせ、その数にノルマまで課し、そのため、不在者投票者数が有権者数の約二割である七六三三名という異常な数に上った。

(二) しかし、本件住民投票は、「賛成」が二五六二票、「環境対策や経済効果に期待できるので賛成」が一万一七〇五票、「反対」が一万六二五四票、「環境対策や経済効果に期待ができないので反対」が三八五票という結果となり、「反対」が過半数を占めた。

右のとおり、名護市民は、ヘリポート基地受入れを明確に拒絶した。

5  ところが、被告比嘉は、本件住民投票が実施された日の三日後の平成九年一二月二四日、当時の内閣総理大臣橋本龍太郎と面談した。その後、被告比嘉は、海上ヘリポート基地建設を受け入れる旨表明するとともに(以下「本件受入れ表明」という。)、名護市長の職を辞任する旨の意思を明らかにした。

なお、被告比嘉の後任として名護市長の職に就いた岸本建男も、平成一一年一二月二八日、普天間飛行場の移設受入れのための基地建設を容認する旨表明した。

6  被告名護市の責任

(一) 本件住民投票の結果の拘束力

(1) 住民投票は、地方議会の条例制定権行使に基づいて制度化されたものであって、住民の過半数の同意を条件として自治体の長や議会に対し一定の義務付けをするものと解され、また、特定の場面でのみ住民の参与を認める制度であることからすると、いわゆる決定型の住民投票を認めても、議会が定める条例を通じて長の統制を図るという通常の地方政治の枠組みから外れるものではなく、間接民主制の原則を覆すものでもない。また、自治体の長の権限を民意と結び付かせて住民自治を徹底させることは、中央権力に対する権力分立の強化となり、団体自治をも推進する契機となることからすると、住民投票の結果に法的拘束力を認めることが憲法の趣旨に合致するといえる。さらに、地方自治法上の町村総会は、正に全面的な直接民主制ということができるため、部分的な直接民主制ともいい得る決定型の住民投票を町村レベルで制定することも違法ではないと解され、現に、市や都道府県において、過去に決定型住民投票が制度化され実施された例がある。

したがって、住民投票の結果には法的拘束力があると解することができる。

(2) 仮に、住民投票の結果に法的拘束力が認められないとしても、本件条例は、市長に対し住民投票の結果を尊重すべき義務を課しているところ、右義務は、単なる理念としての尊重をうたっているわけではないから、市長は、住民投票の結果を慎重に検討し、十分な考慮をはらい、特段の合理的理由のない限り、住民投票の結果に拘束され、その投票結果に反する行為はできないというべきである。

(二) 政府の判断基準等

そして、政府が、普天間飛行場の移転計画を一方的に進めながら、他方では、地元の意思を尊重するとして、地元が基地建設を受け入れる意思があるか否かを移転先選定の重要な判断基準とし、また、海上基地建設に伴う公有水面の埋立てないし管理に関する許可権を有する沖縄県が、地元の同意が得られることを許可の条件としたことからすると、被告名護市が基地建設を受け入れる意思を有するか否かは、基地建設場所選定の重要な要素であったというべきである。このような状況下、政府は、名護市長であった被告比嘉の本件受入れ表明を受けて、被告名護市の同意を得たものと判断したのであり、これにより、政府のいう基地建設の条件が形式的には満たされた。

(三) 被告比嘉の違法行為

被告比嘉は、名護市長として、本件住民投票の結果を受けて、海上ヘリポート基地建設に反対し、これを容認しない決定をすべき義務があったにもかかわらず、本件受入れ表明をし、同時に名護市長を辞任する旨の意思を明らかにしたのであるから、本件受入れ表明は、本件条例に反するというべきである。

また、被告比嘉は、地元の理解が得られない場合には基地建設は強行されない旨発言するなど、市民に対して投票の結果に従うとの予測を与える言動をし、市民もこれを信頼して行動していた。ところが、被告比嘉の本件受入れ表明は、自らの言動を覆し、市民の信頼を真っ向から裏切るものであって、信義誠実の原則に反し、違法である。

そして、仮に、被告比嘉に裁量権があったとしても、全くの自由裁量が保障されるものではないところ、本件住民投票の結果を無視してされた本件受入れ表明は、許された裁量の範囲を逸脱したものというべきであって、違法である。

(四) 「公権力の行使」該当性

本件受入れ表明は、市長としての地位に基づき、被告名護市の意思を表示する行為としてされたものであるから、国家賠償法一条の「公権力の行使」に当たる。

(五) 損害の発生

原告らは、本件受入れ表明により、次のとおり、基地のない環境で平穏に生活する権利、平和的生存権及び思想、良心の自由を侵害され、それぞれ精神的苦痛を被ったが、これを慰謝するための金額は、原告ら各自につき一万円が相当である。

(1) 基地のない環境で平穏に生活する権利

憲法二五条は、国民に対して、幸福で文化的な最低限の生活を営む権利(生存権)を保障している。

そして、地方自治体は、憲法九四条に基づき、憲法上保障された人権を地方自治の場合に則して実現するため、自治立法権を行使して条例を制定し、その条例によって、憲法上の基本的人権の保障を具体化することができるところ、本件条例は、憲法二五条の保障する生存権の実現形態として、「ヘリポート基地との共生か、ヘリポート基地の拒否か」という選択を名護市民による住民投票の結果に任せたものであるが、名護市民は、本件住民投票において、生存権保障の実現手段として、ヘリポート基地建設を拒否するという選択をした。これにより、原告らは、憲法上保障された生存権として、ヘリポート基地のない場所で、平穏に生きる権利を具体的に享受し得ることになった。

(2) 平和的生存権

憲法上、平和に生きる権利が保障されているが、本件住民投票により名護市民は基地の建設を明確に拒否した。その結果、原告らは、ヘリポート基地のない場所で、平和に生きる権利を具体的に享受し得ることになった。

(3) 思想、良心の自由

原告らは、いずれも、基地建設に反対し、基地のない平穏で平和な市民生活を確保するとの思想、信条を有し、その実現のために活動していたものであるが、本件住民投票の結果、右の思想、信条の自由が単なる内心的自由に止まらず、具体的かつ現実的な権利として享受し得ることになった。

7  被告比嘉個人の責任

公務員が故意に職権濫用行為を行った場合や当該公務が明白に違法な公務であり、行為者自身その違法性を認識していたような場合には、地方公共団体等が国家賠償法上の責任を負うに止まらず、公務員個人も不法行為責任を負うと解すべきであるところ、被告比嘉は、本件受入れ表明によって、政府がヘリポート基地建設の条件としていた地元の同意を得たかのように見せかけるため、政府と通謀の上、市長としての地位を濫用し、本件住民投票の結果を無視して右の表明をしたのであるから、故意に職権を濫用して、民主主義の基本理念を侵害したというべきである。

したがって、被告比嘉も、前記6(五)の損害につき、個人として損害賠償責任を負うというべきである。

8  よって、原告らは、被告名護市に対しては、国家賠償法一条に基づき、被告比嘉に対しては、民法七〇九条に基づいて、原告らそれぞれに対し、連帯して、損害賠償金一万円及びこれに対する不法行為の日である平成九年一二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告らの本案前の主張

およそ裁判は、事実を認定し、法規を適用して、権利義務の有無等の法的結論を導くという過程を経て紛争の解決をはかるものであるが、原告らが本件訴訟において主張するところは、全て政治的な解決に委ねられるべきものである。すなわち、原告らの、基地のない環境で平穏に生活する権利、平和的生存権及び思想、良心の自由がそれぞれ侵害された旨の主張は、いずれも政治的主張であり、法律を適用することによって解決するのに適しないものである。

したがって、本件訴訟は、法律上の争訟とはいえず、また、訴えの利益がないから、不適法として却下されるべきである。

三  本案前の主張に対する原告らの答弁

原告らは、本訴において、被告比嘉の行為によって原告らの法的保護に値する権利が不法に侵害されたことに対する損害の賠償を求めているのであって、被告比嘉の行為の政治的評価を求めているわけではない。そして、憲法上保障される基本的人権が不法に侵害されたときには不法行為が成立し、右侵害に対する司法的救済を求め得るのは当然のことである。

四  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1(一)の事実は不知。

2  同1(二)に事実は否認する。被告比嘉が名護市長の地位にあったのは平成一〇年一月一四日までである。

3  同2(一)の事実のうち、山口県岩国基地が海兵隊の海外における唯一の戦闘攻撃部隊主力の前進拠点であること、ヘリコプターは無方向を飛び回ること、普天間基地周辺では、うるささ指数が八〇ないし九〇を示し、演習の時は九〇を超えること、昭和五九年五月及び同年七月には、Ch53大型空輸ヘリコプターが墜落炎上する事故が発生したことは不知、その余の事実はいずれも認める。

4  同2(二)の事実のうち、キャンプシュワブの面積が二二四万平方メートルであること、キャンプシュワブの地先に海上ヘリポート基地を建設し、ここに普天間飛行場のヘリコプター運用機能のほとんどを移設する旨合意されたことは否認し、その余の事実は認める。

キャンプシュワブの面積は二〇六二万七〇〇〇平方メートルであり、SACOの最終報告では、「海上施設の建設を追及し」、「海上施設は沖縄本島の東海岸に建設するものとする。」と記載されているに止まる。

5  同2(三)の事実のうち、キャンプハンセン及びキャンプシュワブにおいて、戦車及び装甲車を陸揚していること、北部の水源滋養林を切り倒していること、航空機の援護を伴う強襲上陸訓練によって、学校内の教室に天井にひびが入るような爆音被害が生じていることは不知、その余の事実は認める。

6  同3(二)の事実のうち、被告比嘉が、条例制定請求における条例案に対して修正意見を付して名護市議会に提出し、名護市議会において本件条例が右修正意見のとおりの内容で可決成立し、平成九年一〇月六日に公布されたことは認める。

同3(二)の事実のうち、条例制定請求に必要な請求者数が七五〇名であること、名護市選挙管理委員会に提出された署名総数が一万九七五三名であることは否認する。条例制定請求に必要な請求者数は七五八名であり、名護市選挙管理委員会に提出された署名総数は一万九七二二名であった。

7  同4(一)の事実のうち、平成九年一二月二一日に本件住民投票が実施されたことは認め、その余の事実は知らない。

8  同4(二)の事実のうち、本件住民投票により、名護市民が基地受入れを明確に拒絶したという点は否認し、その余の事実は認める。

9  同5の事実のうち、被告比嘉が辞任したことは認める。

被告比嘉は、本件受入れ表明において、平成九年一二月二四日に内閣総理大臣橋本龍太郎と面談の後、名護市長の職を辞職すると公表し、その辞職の理由として、反対票と賛成票それぞれの重みを厳粛に受け止めた旨、名護市をはじめ北部地域の振興発展、沖縄の基地の整理縮小を進めるため熟慮を重ね、名護市の行政の責任者として苦渋の選択をした旨、政府、沖縄県の決定に対応して、ヘリポート基地の建設を受け入れる道を選ぶことを決意した旨、市民を賛成、反対に二分した責任を痛感した旨などを述べた。

10  同六(一)(1)及び(2)は争う。

本件条例は、「有効投票の賛否いずれか過半数の意思を尊重するものとする」と規定しているにすぎず、市長に対して本件住民投票の結果に従わなければならないといった義務を課しているわけではない。

したがって、市長は、ヘリポート基地建設に関する事務の執行に当たって本件住民投票の結果を判断材料にはするが、これに拘束されることはないというべきである。

11  同6(二)は争う。

12  同6(四)は争う。

13  同7は争う。

公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うにつき、故意又は過失により他人に損害を与えた場合は、国又は公共団体がその賠償の責に任ずるのであって、当該公務員個人が直接被害者に対して損害賠償責任を負うことはない。

理由

一  まず、被告らの本案前の主張について検討する。

被告らは、本件訴えが政治的主張にすぎないから、本件訴訟は法律上の争訟に当たらず、また、訴えの利益はない旨主張する。

しかし、原告らは、本件訴訟において、自己の権利が侵害され、精神的苦痛を被ったとして、その損害賠償を求めている以上、慰謝料請求権の存否という具体的な法律関係について紛争があり、かつ、右紛争の判断にあたって、ヘリポート基地建設の政治的な当否についての判断に立ち入る必要はないのであるから、いわゆる事件性を是認することができる。

したがって、本件訴訟が法律上の争訟に当たらないとか、原告らに訴えの利益がないとはいえない。

二  まず、本件住民投票に係る事情及び本件住民投票後、被告比嘉が本件受入れ表明をするに至った経緯等についてみるに、証拠(甲一ないし九、原告宮城保、同真志喜トミ、同輿石正各本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

1  普天間基地には、沖縄県宜野湾市に所在し、米軍海兵隊の飛行場として使用に供されているところ、平成八年一二月二日、日米両政府間において右基地返還の合意がされ、その代替基地用地の有力な候補地として名護市の東海岸地域であるキャンプシュノワブ沖が挙がった。

2  これに対し、名護市民の中には、普天間基地の代替基地を沖縄県内に求めることは基地の県内たらい回しにすぎず、ジュゴン生息海域という世界的にも貴重な海洋環境に著しい悪影響を及ぼしかねないし、名護市周辺に所在するキャンプシュワブ及びキャンプハンセンなどの米軍施設に関し、現に甚大な被害が生じているなどとして、普天間基地の移設に反対する意見を有する者が少なくなかった。

このような状況下、名護市議会は、平成八年六月二八日に普天間基地の全面返還に伴う代替ヘリポート移設に反対する議案を、同年一一月一八日には普天間基地の全面返還に伴う代替ヘリポートのキャンプシュワブ水域への移転に反対する議案をそれぞれ全会一致で可決した。また、当時被告名護市の市長であった被告比嘉を実行委員長とする「名護市域への代替ヘリポート建設反対市民総決起大会」が二度にわたって開催された。

3  ところが、その後、被告比嘉がヘリポート基地建設のため事前調査を受け入れ、那覇防衛施設局による現地事前調査が実施されたこともあって、基地建設反対派の住民は、これに危機感をいだき、ヘリポート基地の建設を阻止すべく、右ヘリポート基地建設の是非を問う住民投票条例を制定するための活動に乗り出し、平成九年六月六日、ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会が結成され、同年七月九日以降、市民投票条例制定請求のための署名集めが進められ、法定期間である一か月の間に必要署名数を上回る一万七五三九名の有効署名が集まったため、同年九月一六日、名護市長であった被告比嘉に対して本件条例の制定請求がされた。

これに対し、被告比嘉は、右条例制定請求の条例案について、ヘリポート基地建設に対する意見の選択肢が、賛成か反対の二者択一とされていたのを、「賛成」、「環境対策や経済効果が期待できるので賛成」、「反対」、「環境対策や経済効果が期待できないので反対」の四択とし、また、本件条例案の三条二項に「市長は、ヘリポート基地の建設予定地内外の私有地の売却、使用や賃貸等、その他ヘリポート基地建設に関係する事務の執行にあたり、地方自治の本旨の基づき市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意見を尊重して行うものとする。」とされていたのを、「市長は、ヘリポート基地の建設予定地内外の私有地の売却、使用、賃貸その他ヘリポート基地の建設に関係する事務の執行に当たり、地方自治の本旨に基づき市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意思を尊重するものとする。」と変更するとともに、三条三項で「市長は、市民投票の結果を速やかに沖縄県、日本政府及びアメリカ合衆国政府に通知するものとする。」とされていたのを削除するなどの修正意見を付して、これを名護市議会に提出したところ、名護市議会は、平成九年一〇月二日、被告比嘉の付した修正意見のとおりの内容で本件条例を可決し、同月六日、本件条例が公布された。

本件条例の内容は、別紙「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例」のとおりである。

4  平成九年一二月二一日、本件条例に基づき、本件住民投票が実施されたが、その結果は、「賛成」が二五六二票、「環境対策や経済効果に期待ができるので賛成」が一万一七〇五票、「反対」が一万六二五四票、「環境対策や経済効果に期待ができないので反対」が三八五票であった。

5  被告比嘉は、本件住民投票が行われた三日後の平成九年一二月二四日、内閣総理大臣橋本龍太郎と会談した際、同人に対して、ヘリポート基地建設を受け入れる旨の表明し、右会談終了後、「住民を賛成、反対に二分させた責任は重く受け止めている。」と述べた上、名護市長職を辞職する意向を示した。

そして、平成九年一二月二五日、被告比嘉は、名護市内で会見を開き、ヘリポート基地建設を受け入れることを決断した旨、右決断に至った理由及び名護市長職を辞職する決意をした旨などを内容とする声明文を読み上げて、本件受入れ表明をし、その経緯につき、これが苦渋の選択であった旨を強調した。

三  そこで、原告らの主張する損害賠償請求の当否について判断する。

1  まず、本件住民投票の結果の法的拘束力について検討する。

前記認定のとおり、本件条例は、住民投票の結果の扱いに関して、その三条二項において、「市長は、ヘリポート基地の建設予定地内外の私有地の売却、使用、賃貸その他ヘリポート基地の建設に関係する事務の執行に当たり、地方自治の本旨に基づき市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意思を尊重するものとする。」と規定するに止まり(以下、右規定を「尊重義務規定」という。)、市長が、ヘリポート基地の建設に関係する事務の執行に当たり、右有効投票の賛否いずれか過半数の意思に反する判断をした場合の措置等については何ら規定していない。そして、仮に、住民投票の結果に法的拘束力を肯定すると、間接民主制によって市政を執行しようとする現行法の制度原理と整合しない結果を招来することにもなりかねないのであるから、右の尊重義務規定に依拠して、市長に市民投票における有効投票の賛否いずれか過半数の意思に従うべき法的義務があるとまで解することはできず、右規定は、市長に対し、ヘリポート基地の建設に関係する事務の執行に当たり、本件住民投票の結果を参考とするよう要請しているにすぎないというべきである。

2  基地のない環境のもとで平穏に生きる権利、平和的生存権の侵害について

原告らは、本件受入れ表明によって、憲法二五条で保障された生存権としての基地のない環境のもとで平穏に生きる権利や平和的生存権が侵害された旨主張する。

憲法は、その前文において、恒久の平和を念願し、全世界の国民が平和のうちの生存する権利を有することを確認する旨を謳い、その九条において、戦争の放棄、戦力不保持及び交戦権を否認する旨規定し、また、その二五条において、いわゆる生存権を保障する旨規定しており、国民が平和のうちに生存する権利を有することを是認しているということができるが、このことから、国民各自に対し、具体的権利として、原告らの主張する基地のない環境のもとで生活する権利や平和的生存権を保障しているとはいい難く、憲法上の右各規定を根拠として、個々人の具体的な権利又は法的利益を導き出すことはできない。

この点、原告らは、本件条例及びこれを受けて実施された本件住民投票の結果により、基地のない環境のもとで生活する権利を具体的権利として取得したとか、平和的生存権が具体的な権利として享受できるようになった旨主張するが、本件住民投票の性格からしても、右投票の結果により、基地のない環境のもとで生活する権利や平和的生存権が具体的権利となったなどということはできないから、右主張はいずれも失当である。

3  思想、良心の自由の侵害について

原告らは、本件受入れ表明により、ヘリポート基地との共生を拒否するという思想、信条の自由を侵害された旨主張する。

しかしながら、思想、信条は、人の内面の精神活動であって、思想、信条の自由が侵害されたというためには、特定の思想、信条を持つことや、自己の思想、信条に反する行動ないし言動をすることを強要されたり、思想、信条を理由として不利益な取り扱いをされたことが必要であるところ、本件受入れ表明は、あくまでも被告比嘉の名護市長としての意見表明であり、これによって、原告らがヘリポート基地建設に賛成するという思想ないし信条を強制されたというようなことにもならないのは当然のことであるから、本件受入れ表明によって原告らの思想、信条の自由が侵害されたということはできない。

そして、原告らが、被告比嘉の行った本件受入れ表明に憤りを感じ、これに不快感を抱いたとしても、それは、ヘリポート基地建設に関し、原告らと政治的意見等を同じくする名護市民、さらに国民一般に共通するものということができるから、原告らに生じた右批判的感情をもって法的保護に値するものということもできない。

したがって、原告らの思想、信条の自由が侵害された旨の主張は理由がない。

四  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官・松田典浩、裁判官・佐野信 裁判長裁判官・原敏雄は転補のため署名押印することができない。裁判官・松田典浩)

別紙名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票に関する条例<省略>

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